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東大寺二月堂 修二会 行法

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3月12日修二会  今駒清則


3月12日
は修二会中最大の行事が集中している日です。常の六時の法要に加えて、「籠松明」「走り」「過去帳読み上げ」「水取り」「だったん」という水と火の行法が加わります。水も火も人間の営みには不可欠なものであることから、人間の根源的な祈りの対象でもありました。仏教の教義に基づく法要だけでなく、原初からの祈りのかたちが習合している独特の法会です。

 従って今日は常の時間と多少変わります。昼の食作法、日中法要、数取懺悔の後下堂、一刻休息し、再び上堂して日没法要、その後「水取り」「だったん」の諸準備をして下堂します。もうすでに日は沈み暗くなっている二月堂周辺は「籠松明」を待ち受ける人々で一杯になっています。

 練行衆が下堂すると宿所には娑婆の古練や縁故の参拝者がお祝いを述べに詰めかけています。一休みもできないまま午後7時30分、加供松明を手にして加供奉行が登廊の石段を猛スピードで3回駆け上がる「三度の案内」が帰ると、食堂の下で点火された特別大きな上堂の「籠松明」を担いだ童子がゆっくりと上り、練行衆が後に続きます。上堂の松明は練行衆の道明りなのです。
 松明の炎は登廊の天井にも届き、燃え上がらんばかりですが、実は前夜に「蜘蛛の巣払い」といって水を掛けて湿らせてありますのでまず大丈夫です。上堂の松明はいつもは10本ですが、この日は11本が上ります。
 松明は回廊(舞台)に出ると北の角で止まって松明を突き出し、燃え具合を見て左右へ振り回しますと大きな炎が二月堂の軒を超えて夜空にたち昇ります。また火の粉が二月堂の下につめかけた人々の上に振りかかって歓声が上ります。

「お水取り」 籠松明を担いで二月堂の舞台を走る童子 (12日)  撮影:今駒清則

 今日の童子の出で立ちは袖をたくし上げ、股立をとって気合いが入っています。常には見られない気迫が伝わってきます。松明を持ち上げると再び肩に担ぎ、今度は回廊を南の角まで突っ走ります。
 この時それぞれの童子の工夫で松明の火の粉がさまざまに変化します。最も凄まじいのは肩の上で持ち上げて回転させながら走る妙技です。重さは約60キロ、長さは8メートルもあるものをです。勾欄から突き出した松明は二月堂や参観の人々をも真赤に照らして角に着くと再び勾欄に置き、ころ合いを見て最後の火の粉を振り撒きます。その頃にはもう次の松明が北側の角に来ていて、二月堂の両端から揃って炎が立ち昇ります。

「お水取り」 内陣の礼拝  撮影:今駒清則

 二月堂の前の大歓声の中で練行衆は静かに礼堂で着座し、堂司の上堂を待ちます。堂司が上ると平衆は内陣に入り、四職は礼をもって順次内陣に入ります。外が静まる頃、礼堂には娑婆古練や参観の縁故者で一杯になります。

 内陣ではいつものように初夜の法要が始まり、今日は「過去帳」が読み上げられます。続く半夜法要の後には「走り」の法要も勤められます。後夜の法要が始まるとしばらくして呪師と平衆5人の水取り衆が内陣を出て二月堂南の石段に向かいます。

「お水取り」 水取りに向かう呪師と水取り衆 (12日)  撮影:今駒清則

 いよいよ「水取り」が始まります。時間は午前2時頃です。二月堂下付近の明りはすべて消され、暗闇の中で「水取松明」が点されて呪師と水取り衆、堂童子などの役人、講社の人々が奏楽の中で南の階段を静かに下って閼伽井屋に向かいます。呪師は祈り堂童子は香水を汲む閼伽桶を持ちます。

 二月堂下で閼伽井屋の近くにある興成社の社で水取り衆が祈願した後、香水の井戸がある閼伽井屋へ呪師、堂童子、庄駆士が入り、他は閼伽井屋を警固します。この「水取り」は絶対秘密の儀式で何人も中を見ることもできませんし、また明りをつけることも撮影もできません。そこで汲み上げられた香水は二荷を三回にわたって二月堂まで庄駆士が運びます。講社の人々はこれを囲んで警固します。水と火の神秘的な絵巻が続きます。

 香水が内陣に届けられると香水壺に移し後夜の法要が再開されます。しばらくして後夜の呪師作法の時に「だったん」が勤められますが、12日、13日、14日と「走り」「だったん」が修法されますので、「だったん」については次回にいたします。


修二会を詳細に記録した今駒清則写真集『南無観』についてはここをご覧下さい。


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