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東大寺二月堂 修二会 行法

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3月5日修二会  今駒清則


「お水取り」 内陣の実忠忌法要  撮影:今駒清則

3月5日は実忠忌法要が初夜法要の前に勤められます。実忠和尚はこの修二会の創始者で809(大同4)年2月5日の法要中に姿を消したと伝えられていて、それにちなんでこの日に供養をします。
 修二会は今年
(2008年)で1257回目となるそうで、どんなことがあっても続けて来たので「不断(不退とも)の行法」とも言われています。法要は内陣正面に講座を設け、大導師が講師、呪師が読師、中灯之一が問者、和上が唄師、衆之一が散華師となって講問が行われ、華厳経と法華経を論題とします。これは大事な法要ですから娑婆古練が礼堂に打揃って聴聞に出ます。

 この実忠忌法要の後の初夜法要は「引き上げ」となり略式で勤められます。過去帳は初夜法要の途中で読み上げます。過去帳を読み上げるのは上七日は5日、下七日は12日になっています。

「お水取り」 過去帳の読み上げ  撮影:今駒清則

 過去帳は聖武天皇以来東大寺に縁のある貴人、僧侶、施主らが記されていて、この読み上げで有名なのは「青衣女人(しょうえのにょにん)」です。読み役はこの名の時に一息間を入れて寂しいような調子で読み上げます。局で聴聞の参拝者もこれを今か今かと待ち、息を呑んで聴き入ります。
 鎌倉時代の初め、過去帳を読む練行衆集慶の眼前に女人が現れ「私をなぜ読み落としたのか」と言います。青い衣を着た女人だったので集慶は「青衣女人」と咄嗟に読み上げ、以来これを伝えている、という伝説があります。読み上げはこの後から早読みとなります。

 この伝説を元にした新作能「青衣女人」が土岐善麿の手で作られ、喜多実が1943(昭和18)年に二月堂で演じたそうです。勿論この時を私は見ていませんが、1970年頃に東京の喜多能楽堂で喜多実が演じた「青衣女人」は撮影しています。

 もう0時を過ぎ、いつもより遅くに半夜法要を勤め、「走り」の準備をします。「走り」は内陣を音もなく駆け廻る行道の一方法です。通常半夜の後は「法華懺法(ほっけせんぼう)」と本手水(ほんちょうず、休憩のこと)があるのですが、「走り」がある日は本手水はしません。これは7日までと12日から14日の間にも勤められます。


修二会を詳細に記録した今駒清則写真集『南無観』についてはここをご覧下さい。


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